
人は本当に何も食べずに生きていくことができるのか?
不食になることは可能なのか?
「不食」をテーマにした本は、そんなに多くはないものの、何冊か書店で見たことがあるんだけど、正直読むのに抵抗がありました。
なんだか違う世界へ旅立っていきそうな気がして(笑)
しかし、今回初めて「不食」をテーマとして扱った本を読んでみました。
その本をというのがこちら、
『食卒 栄養の観念ではなくエネルギーの観念で生きる 意識のあり方・生き方』
進化人類研究所所長 清 月乃著
なかなか普通では理解できないような内容になっているこの本。
しかし、実際に一日一食の生活を長く続けている自分からすると、全く空想の世界の話ではない、こういった人も中にはいるんだろうな?
という気持ちになれる、そんな大変興味深い内容の本です。
人は本当に何も食べずに生きることが出来るのか?

「不食」。自分はずっとこのことについて興味がありました。
「人は本当に何も食べずに生きることが出来るのか?」
人によっては、「そんなことできるわけないじゃないか!?」と思われるでしょう。
正直にいうと、自分でもいまだに半信半疑です。
けど、「そんなのまるっきりの嘘に決まってるだろう」、とも思っていないんですよ。

だからこの『食卒』という不食をテーマにした本を読んで、「なるほどやっぱり人は本当に何も食べなくても生きていくことが出来るんだな」、という思いが少しだけど増した。ような気がしています😌
もう一人の不食の人 森美智代
不食関連の本って、この「食卒」以外にも結構色々とあるんですよね。
正直にいって、自分には縁のない世界だな。と、ずっと思っていたので、興味はあったけどほとんどスルーして読んだことがありませんでした。
そんな不食関連の書籍の中で、過去に一冊だけ読んだ本がありました。
それが、森美智代さんの「食べない生き方」。
この本を読んだ時も、かなりの衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えています。
内容もとても面白かったですし、何よりこの森美智代さんという方の人柄がとても印象的でした。
この森美智代さんという方、一日青汁1杯だけで生活しています。
青汁といっても、よく薬局やスーパーで売っているようなものではなくて、生の野菜をジューサーにかけて青汁を作っていました。
難病治療の為に始めた断食を、何度も何度も繰り返しているうちに、今の青汁一杯で生きられる体へと進化したそうです。
これも一種の慣れ、ってやつですよね。
とにかくとても面白い本なので、興味のある方は是非一度手に取って読んでみて下さい。軽い衝撃を受けること間違いなしですから(笑)
食べることからの卒業
少し話がそれましたが、 話を「食卒」へ戻しまして。
『食卒』とは「食べることからの卒業」と筆者は言っています。
食べないで生きていく、つまり「不食」ですね。
「断食は一時的だけど、不食・少食は進化した人類が持ち合わせている在り方生き方。」とこの本の著者は言っています。
不食・少食は辛抱して、苦しみながら行うものでもなく修行でもない。むしろその逆で、食べないことが心地良く「食べ物は必要ない」という状態。
無理して、頑張るというのは本当の不食・少食ではないということ。

この辺りの話は、一日一食を実践している自分にもなんとなく分かる気がします。
つまり不食・少食というのは人の生き方のひとつの形ということが言えるようです。
「食べないで生きる」というのは特別な人の話であって、多くの人には全く縁のない無関係な話に思えるので、意識を向けることもまぁほとんど無いですよね。
新たな生き方が出来る人だけが、到達できる世界があるということなのかも知れません。

自分は少なからず興味があるので、もしかすると、あちら側(不食・少食)へ向かおうとしているのかも知れません。だからこそこういった本に巡り会えたんだとも言えるので。
決して食べることを否定しているわけではない
「不食・少食について得られる恩恵は大きいけど、決して食べることを否定しているのではない。」
と著者の清さんは言っています。
むしろその他大勢の普通の人にとっては、「食が必要」とのこと。
この意見は納得。普通に考えれば理解できますよね。
そもそも一日一食を実践している自分ですら、何も食べずに毎日を暮らすというのは、今の自分の頭では理解が追いつかずに、謎以外の何ものでも無いように思っていますから。

まだまだ自分の頭では、「食は絶対に必要なもの」という認識があります。
つまりはまだまだ自分は凡人だということです。
食べないで生きるって?
「食べないと生きられない」と信じている人が、不食を行うと「死ぬ」。
いきなり恐ろしげなキーワードが出てきましたけど、これが真実だと思います。
心の中に疑いがある状態で「不食・少食」を行っても、それはただの修行だし、永遠に続けることはまず持って不可能でしょう。
これは一日一食を実践している自分も深く感じています。
一日三食食べないと、お腹が空いて、何にもできないと信じていたら、一日一食の生活すら続けられないと思っていますから。
そして、「食べなくても生きられる」と信じて生活している人は、食べる人よりも健康に生きている。
このことも自分は大いに納得できる部分です。
何事もそうだと思うけど、やはり大事なのは「信じること」。結局はこの一言に尽きますね。

信じる心があるからこそ成し遂げられることって、世の中たくさんありますよね。
それは、一日一食も同じで、体にいいと思ってやっているから、本当に体が元気になっている、という側面も大いにあるんです。
道(準備)

不食への準備には長い長い準備期間が必要だと言います。
筆者は10年の歳月をかけて、この順番で不食まで至ったとのことです。
それくらい不食への道は遠く長く険しいということですね。
ここまで到達するには、相当な心の葛藤もあったと思いますし、相当な覚悟も必要だったと思います。
それにしても10年は長いね、、、
実践(人体実験)と変化

ある意味「不食・少食」というのは、自分の体を使った人体実験と言えなくも無いかもしれない。
未知の世界へ飛び込むにはそれくらいの覚悟がやはり必要なんでしょう。
頭と習慣で食べる
「頭と習慣」で食べる。
- 頭とは、お腹自体は空いていないのに、「栄養」の為に食べたり、「味の記憶」で物を買ったりすること。
- 習慣とは、「お昼時間だから食べる」とか、体が食べ物を欲していないのに、「毎日食べているから食べる」といったノルマをこなすようなこと。
要は普通の人は、何も考えずに頭と体の欲求の赴(おもむ)くままに物を食べてしまっている、と筆者は言ってるんですね。
この食の呪縛から抜け出すには思い切った行動が必要みたいで、筆者は2日間(48時間)の断食をすることによって、この壁を壊したそうです。
2日間の断食を実践したことによって、とてつもない開放感と爽快感、そして食べなくてもいいという安堵感、それとなんでか分からないけど全ての自由を手に入れたような感動があったとのこと。
実際に行動してみないと、分からないことって、たくさんあるんだと思います。
まさに日々これ人体実験といったところでしょうか。

自分も実際に、一日一食の生活を始めてみるまでは、本当にこんなに心地いい気持ちになれるなんて思ってみませんでしたからね。
やってみないと分からないことって本当に多くて、この世の中はそんなことだらけな気がします。
実際に行動した人間だけが得られる特権ですね。
人はなぜ食べるのか?

人はなぜ、食べ物を食べているのか?
人間は食べ物から栄養を摂取しいるので「食べないと死ぬ」という概念が当然に思われているので、「人はなぜ食べるのか」ということをまず考えることさえしない。
と筆者は言います。
しかし世界には実際に「食べないで生きている人」が存在しています。
そう、物を食べずに生きていられる人間がこの世に存在している以上、人類の全ての人が「食べないと死ぬ」ということが当たり前とは言えなくなってしまうんです。
う〜ん、ここはちょっと理解に苦しむほど難しいですね。
思考が現実化する
自分の好きな言葉に「思考が現実化する」というのがあります。
これは超有名なナポレオン・ヒルの言葉です。
これを不食に当てはめると、(冒頭でも少し解説しましたが)次のようになります。
「食べないと死ぬ」と意識にある人は食べないと死ぬし、「食べなくても生きられる」と意識にある人は食べなくても生きられる。
ただこれは言葉以上にそんなに単純なものではないですよね。
そう思おうとしているだけではダメで、心の底からそうだと本気で思わないと、思わぬ結末になりかねないので注意が必要なところです。

思うだけではダメで、そこにリアリティーが組み合わされないと、現実化していかないんです。
ここがちょっと難しい部分で、頭の片隅に少しでも「疑い」の気持ちがあると失敗します。
生存し続けられる理由は「エネルギー」
じゃあそもそもなんで、何も食べなくても生きられる人がいるのか?
栄養ってどこから得ているのか?
こんな疑問が絶対に湧いてきますよね。
そんな謎の疑問の答え。
それが「エネルギー」だそうです。
とのこと。
とってもスピリチュアルな感じだけど、あながち嘘でもないと自分は思っています。
実際に目に見えないものを信じるのって、かなり難しいことです。
しかし、この「宇宙のフリーエネルギー(気体のエネルギー)」というものの存在を強く意識することによって、何も食べなくても体にエネルギーを蓄えることができる。
これが人が何も食べなくても生存し続けられる理由なのだそうです。

結局のところ、生きている以上は何かしらからの「エネルギー」というものを体に取り入れていないと、そのうち機能しなくなる。ということが言えるのではないでしょうか。
サンゲージング(太陽凝視)
ところで皆さんは、「サンゲージング」っていう言葉を聞いたことがありますか?
太陽の光が一番柔らかくまた紫外線量が少ない日の出1時間以内または、日の入り1時間前の太陽光を凝視する行為
要は朝夕の太陽の光が和らいでいる時に、太陽を見つめるというもの。
この太陽の光のエネルギーを取り込むことによって、空腹感がおさまるんです。
これは、不思議なことに自分もこれを無意識のうちに行っていて、この本を読む前から知っていました。
そしてこの本を読んで更に納得してしまいました。
なので、この本を読んでからは、率先してこのサンゲージングを朝のルーティンに組み込んで、やっています。
このサンゲージング、空腹が収まるというだけでなく、心もとても清々しくなるんです。太陽の光を浴びるというのは、やっぱり体にいいですよ。これは本当におすすめです。

太陽を見つめていると、不思議と心が落ち着いてくるんですよ。
この気持ちの良さは形容し難くて、実際に体験して体感してもらうしかないですね。
第三の目 松果体
サンゲージングを行うと第三の目と呼ばれる「松果体(しょうかたい)」という部分のスイッチが入り活性化するため、光・宇宙のエネルギーを吸収しやすくなるので、食べなくても生きられるようになるということです。
この松果体は宇宙の叡智を受信する場所で、ひらめきやインスピレーションなどは「第三の目」松果体で感じ取るのだそうです。
松果体という言葉はこの本を読んで自分は初めて知りました。なのでまだまだ勉強不足です。
ですが、ざっと調べた感じでは、次のような効果もあるそうです。
このような作用が松果体が活性化されると引き起こされるらしいです。
人体ってまだまだ謎の部分が多くて、知れば知るほど興味が湧いてきます。
まとめ
この本を読んで、自分なりの結論を言うと、
どうやら「不食」になるためには「サンゲージング」と「松果体」というところに大きなヒントがあるのだということが分かりました。
とはいえ、このことを理解したからといって、「不食」が可能になるのか? と言えば、それはNOと言わざるを得ないです。
なので、決して「不食」というのは、普通の人にはおすすめできません。
もちろん自分も(今の段階では)やりません。ていうか、出来る気がしないです、、、
この本の通りに安易に真似だけはしないでください。とても危険ですから。
最低でも10年の修行が必要とのことなので、昨日今日知識を得たからといって、すぐに出来るものではないということです。
自分もまだまだ一日一食を始めてから、たかだか2年ほどです。なので、自分が「不食」に挑戦できるのは、今からあと最低8年はかかるということです。(やるかどうかは別として)
それまで一日一食を続けていられるかどうかも分からないし、何かの大きな覚醒でもない限りは、今の自分の頭で考える限りでは出来る気がしないですね、正直。
この度は最後までブログ記事を読んでいただきありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。
良い少食ライフを(o^^o)
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